二つの眼ん玉と二つのお耳。

 

夕べは嫁ちゃんが実家に帰ってたから

 

連休で家に帰って来てた息子くんと2人で近所の居酒屋でご夕食となったのである。

 

3年ほど前にこの居酒屋で、ワタシvs10人くらいで乱闘騒ぎを起こしたのである。

 

で、反省したワタシは1年間出入り禁止の処分を自ら課したのである。

 

そして1年後、白山に登って禊ぎをして、またお店に顔を出すようになったのである。

 

そんで昨日、お店に入ると「○○さんが来たよー。」とみなさんでお出迎えである。

 

こんな対応は初めてで、え!?急にどないしたん?もうビックリね!である。

 

で、入り口付近の座敷に座ろうとしたら「奥の部屋を使っていいよ。」と

 

なんと!宴会用の大広間にご案内されたんである。

 

息子くんとたった2人で6テーブルくらいある大広間である。

 

去年の暮れに空手の仲間と8人のときは、2テーブルだったのに!である。

 

笑顔で「いつもありがとうございまーす。こちらをどうぞ。」とVIP待遇である♪

 

そりゃ~ご機嫌を良くしたワタシはたらふく食べて♪飲んだ♪に決まってるんである。

 

で、とても幸せなひと時を過ごしたんであった・・・

 

が、お会計も、あらまぁ~もうビックリね!である。

 

でも、やっぱり幸せなんである。

 

 

 

 

今までに何十回も来てるのに突然、初めてこんな親切な対応をされてホントにビックリしたのであるが、そんで昨日はご機嫌良く過ごさせてもらえて、ものすごーく酔っ払いになられたのであるが、今朝起きて酔いが醒めると…昨日はお客さんが多くいたのでワタシは隔離されたんじゃなかろーか・・・と思ったのである。って流行りのコロナウィルスじゃなくて、またケンカウィルスをばら撒かれたら困ると思いになったのかも知れない…と思うわけである。もし、昨日の対応の時点でワタシがこう思っていたら幸せなひと時とはならず、とても不愉快になっていたのである。しかし幸運にもワタシは親切な扱いをされたと受け取ったのでおいしく食べて飲んで幸せを満喫したわけである。このように人間には二つの眼ん玉と二つのお耳があるように、一つの物事を二つに受け取るように出来ているんである。そんで知らずにどちらかを選んで人生をお楽しみになっているんである。で、昨日のお店の人たちが親切でしてくれたのか?あるいは隔離だったのか?なんてことはワタシの人生にはぜんぜん関係のないことなんである。この人たちの対応をどう受け取ってどう過ごすかがワタシの人生なんである。二つの眼ん玉と二つのお耳で受け取る片方は幸せを、もう片方は不幸を受け取るんである。そのどっちを選ぶかは自分なんであり、その自分が選んだ人生が幸不幸になるんである。他人のせいなんてーもんはないんである。自分が幸で受け取るかどうかである。幸で受け取れば、すべてが嬉し楽しでおかげさまになるんである。

 

 

 

とは書いたけれど、

 

ワタシは昨日のビックリ対応の瞬間、その時点で両方の思いを抱いたんである。

 

そんで自ら幸を選んで受け取ったのである。

 

酔いが醒めた今も、

 

お店の人たちはワタシを隔離したんじゃなくて

 

乱闘騒ぎを起こすようなワタシなのに親切にしてくれたのだと思うんである。

 

そんで昨日はケンカウィルスではなくて

 

[合気ウィルス♡]をたぁ~っぷりと撒いて来たんである。

 

だって、このお店でやった乱闘騒ぎのおかげで

 

ワタシ、キレなく成れたんだもん。

 

ホントにありがとう。ホントに幸せである。

 

 

 

 

乱闘騒ぎのあの日あの時・・・異次元と思える世界を垣間見ちゃったのである。

 

 

 

 

咲 心太郎

「達人技」と呼ばれるモノのカラクリ。

 

 

「今日はいきなりマジメな話をするでー。」

 

つまらんかも知れんけど、よー読んでな。

 

 

 

空手に限らず、何事にも基本とか基礎というものがあって

 

基本や基礎というものは上達するには欠かせないとても重要なものです。

 

空手の基本とは、正拳突きや、その他の基本稽古のことを言いますが、

 

実は、違うんですよね。基本稽古のさらに基本があるのです。

 

それは立ち方や立っている感覚などの「立った状態」・・・

 

「立ち」というのが一番の基本になります。

 

この「立ち」が良くない状態でいくら正拳突きをやっても

 

良くない正拳突きを育てるだけになってしまいます。

 

なので他の技でも蹴りでも「良い立ち」が出来た状態でやらなくてはなりません。

 

しかし、この「立ち」というのがとても難しくて深いのです。

 

ほとんどの人は「立ち」なんて意識することもなく生活していると思われます。

 

普段、「立ち上がる」とか「座る」というのは自分の意志と意識でやりますが

 

立った後は、「立っている」と自覚しながら立っている人はいないと思います。

 

そんな立った状態を支えているのは‘無意識だから‘なのです。

 

無意識が「立ち」を支えてくれているから、自分の意識は他のことに使えるのです。

 

ところで地球は自転と公転をしていますが、自転の時速が赤道付近で約1.700kmで、

 

太陽の周りを回る公転が約108.000km(秒速30km)だそうです。

 

そんなとんでもない速さで動いている地球の上で立っていても飛ばされず、

 

また飛ばされるところか安定して立っていられる、しかも無意識にで!とは

 

いったいどういうことなのでしょう。

 

それは地球の「引力」に引っ張られているからだそうです。

 

そしてワタシたちの「引力」もまた地球を引っ張っているのだそうです。

 

さらに地球にはこの「引力」の他に回転による「遠心力」も働いていて

 

「引力」と「遠心力」を合わせたものを「重力」というのだそうです。

 

これらの力が働いて地に足をつけて立っていられるということです。

 

つまり、ワタシたちの無意識には

 

「引力」、「遠心力」、「重力」が働いているということになります。

 

そして「立ち」を深めることとは、この力をより働かせる立ち方になることです。

 

また無意識を意識に取り込むという作業でもあります。

 

これらの体感が出来て「立ち」が良くなり、その感覚のままで動き、技を出すと、

 

当然、その技には「引力」、「遠心力」、「重力」が働く技になります。

 

「引力」が強く働いた場合は、相手とくっついたり・・・

 

「遠心力」が強く働いた場合は、相手が吹っ飛んだり・・・

 

「重力」が強く働いた場合は、相手が崩れ落ちたり・・・

 

と、筋力では不可能ないろんな不思議な現象が起こります。

 

またこれらの力が融合した技も可能です。

 

そして技をかけられた相手にとっては、その人の無意識に働くわけですから

 

もう何がなんだかわからなくなって、自意識は停止して自分では動けなくなるし、

 

「立ち」を支えている無意識の働きが崩され、不安定な「立ち」になります。

 

こちらは凄く「立ち」が安定した状態にあり、相手の「立ち」は不安定な状態になる。

 

宇宙や地球に働く力が大きく働く者と、働きが小さくされる者になるということです。

 

これが「達人技」と呼ばれるモノのカラクリの根幹だとワタシ自身は思っています。

 

またこの宇宙や地球には、他にもたくさんの力が働いています。

 

「立ち」を極めるとは、こうした誰にもある、無意識の世界、無意識に働く力を

 

自意識で少しでも多く使えるようになっていくということです。

 

でも、無意識の世界は自意識の世界とは比べ物にならないほどに

 

深くて高くて広くて・・・広大無辺な果てしない世界です。

 

空手、武道とは果てしない世界を歩む道なのです。

 

その道が「立ち」という、基本なのです。

 

「立っている状態」という、この簡単な基本とは

 

その応用であるいろんな技を生むことが出来る極意でもあるのです。

 

そして、二本足で立っていられる人間とは、

 

いろんな可能性のある、不思議で素晴らしい生き物なのです。

 

 

 

 

と、まぁ、ちーとばかり、先生気取りで書いてみたけれど

 

 

・・・「あ~ちゅかれたー。」

 

 

である。書いてる途中で、あ~辞めときゃ良かったナ。と思ったけれど、書き直すエネルギーもヤル気もネタもないから、無理してがんばって最後まで書いたのである。やっぱネ、自分を飾ってこんな丁寧な書き方でやるとマジ疲れるわー。もう二度とやらねーゾ。自分は自分らしくが一番やね♪でも、今日はけっこうイイことを書けたんじゃなかろーかと思うんである。だからサ、またこんな書き方でやるのもいいかもナーなんて思ったりもするんである・・・

 

 

 

 

って・・・またやるんかい。

 

 

 

しらんがな。

 

 

 

 

咲 心太郎

闘わずして勝たず負けず。

 

小っちゃな頃から悪ガキで~、15で不良と呼ばれたよ~♪

 

ナイフみたいに尖っては~、触るもの皆、傷つけた~♪

 

と、チェッカーズのギザギザ♡の子守歌♪のまんまだったワタシ。

 

まぁ、尖ってましたねー、お恥ずかしながら40過ぎくらいまで。

 

成人になってからでも100人で済まんでしょ、怒鳴りつけたり・・・したの・・・。

 

もう、みんなが敵にしか思えなかったんやろうね。

 

で、この場を借りて、100人以上の怒鳴りつけられたり・・・された・・・皆様、

 

 

大変申し訳ございませんでしたー。

 

 

と、一応、謝っておこう。って一応かよ。

 

しかし、今の若い子たちはみんなイイ子やね。

 

ワタシは中学の反抗期になってからはワルさをすることが

 

ワタシの正しさ!みたいに生きて、ワルさをするごとに胸を張れたもんねー。

 

目が合っただけで「何、ガン飛ばしてんやー。」とケンカ勃発の時代。

 

そんで空手という闘う世界に入ったワタシ。

 

で、ますます尖った心が大きくなっていって、ますますケンカばっか。

 

そんな対立の世界にどっぷりとハマり、どんどん対立が大きくなっていって・・・

 

 

 

調和の世界というものを知ったのだった。

 

 

 

 

対立の世界と調和の世界がある。武道では調和の世界、調和する心を説かれる先人や偉人が多くいる。のに、そんな教えもどこ吹く風の異人のワタシは対立の世界、対立の心、対立の空手に精を出してお励みになっていたのである。そんで争い闘えば全勝である。対立の世界は力対力である。力のある方が勝つのである。闘う心が大きくて闘う心の強い、闘った経験が多いヤツが勝つのである。そんで勝つごとにワタシの対立の心も大きくなっていったのであるが、ある日、組織力というモンとの対立で完敗を喰らったのである。どうあがいたってワタシ個人の力では組織力を相手に敵うはずなんてないんである。ボロ負け絶望してから知るなんて相当おバカなワタシなんである。が、なんでか知らんけど、この完敗をきっかけに調和の心が芽生えたのである。相手が‘強‘で来たら‘弱‘で、相手が‘押‘で来たら‘引‘で、相手が‘剛‘で来たら‘柔‘で・・・相手と同じになるのが調和だと思っていたけれど、実は相手と反対になると調和が起こるんである。イヤな相手と反対になればいい!とわかったんである。これが本当の反抗である。反抗はワタシの十八番である。相手が喋ったらこっちは聞くんである。これが一番わかりやすい調和である。ただ、相手の‘強‘によって仕方がなく‘弱‘にならされたのでは調和は起こらず、自ら意図的に本気で‘弱‘になると調和するんである。相手の‘強‘に対して自分が‘弱‘になるのは楽なんである。がんばる必要もないんである。相手が強くて速くて剛い手で突いてきたら、弱くてゆっくり柔らかい手で受けるんである。そんで調和が起こるんである。外見では‘弱‘をやった方が負けて見えるが、調和を意図的にやった方が‘場と相手‘を制したことになるんである。その相手は調和させられた瞬間、知らずにこちらの‘弱‘と同調しているんである。で、そのままでも良し、または、あまりおススメはしないが今度はこちらが‘強‘と出ても良し。である。これらの話はすべて心の世界のことである。「柔よく剛を制す」とは相手の強い心に対して意図的に本気で弱い心になって制するのである。もう一度言うが、この意図的に本気で!ってのが重要である。そのためには、心に使われる自分を卒業し、心を使えるようになる必要があるんである。稽古精進で自分の心をコントロールする力を育てるのである。そしてこの武の道を歩む者のその先には相手を前にしても敵が無い、無敵の状態という、もっとスゲー完全調和の世界が垣間見えたりするんである。これは頭でわかってもダメなんである。心で知るのだ。この心は自分で体験して知るしかねーし、そこからまだまだ先もあるようである。

 

 

 

昨日、突然、ワタシにとって敵と思えるような方が起こしになられたのである。

 

昔のワタシは、勝手に心が身構えて臨戦態勢の心とキツい顔で出迎えたのである。

 

昨日のこの相手には、分が悪い、弱い立場のワタシなんである。

 

そんで、相手はいつもそんなワタシに対して‘強‘の態度である。

 

で、昨日は、意図的に本気で弱い心になり、笑顔で出迎えたのである。

 

そんで、昨日のブログの「後の先」と「後先の先」を取って会話をし、

 

ものの2、3分でワタシの言いなりになって相手は笑顔でお帰りになったのである。

 

闘わずして勝たず負けず。である。

 

「こんなに簡単なことだったのか・・・」

 

と、今日のブログである。

 

武♡ってスゲーな。

 

中学や15のときにコレを知ってたら・・・。

 

ま、今頃でも、知れてやれたから良かった・・・かね。

 

 

 

 

 

ワタシのブログを読んで・・・いばらの道を歩む人が少なくなりますように。

 

 

 

 

 

咲 心太郎

後のないワタシの‘先‘

 

ようやく国のお偉いさんたちもおちゅうごく産のウィルスの話をするようになったネ。

 

でも、責任追及てな、やっぱり権力争いしかやらんのである。

 

で、肝心なことは後手後手の対応である。

 

何事も後手に回るとキツいんである。

 

‘超‘が10個くらい付くおバカなワタシは

 

遊び過ぎと空手にハマり過ぎて、ずっと後手後手後手後手・・・の人生である。

 

受けて受けて・・・躱して躱して・・・凌いで凌いで・・・

 

東尋坊の崖っぷちを背にして歩いてるような人生である。スリル満点である☆

 

振り向いたら崖下に落っこちてしまうから前進するしかないんである♪

 

でも前へと進む道は、かなりの急な登り坂なんである。

 

と、後手に回るとロクなことがねーのである。キツい人生になるんである。

 

まぁ、それもある意味、楽しいんだけどネ。

 

でもやっぱり何事も先手必勝がいいんである。

 

先手打ってヘマこいてもどうにかなるけど、後手でヘマこいたらジ・エンドである。

 

だから後手の人生という中でもなんとか先手を取って必勝を狙っているんである。

 

そんなワタシだからこそ、ワタシにとっての本当の‘先‘を知れたのかも!?である。

 

で、今日は、そんな後のないワタシの‘先‘というモンのお話しをするネ。

 

じゃ始めるネ。

 

 

 

 

先(せん)を取る。攻防においては先を取ると有利になるんである。将棋や囲碁のように先手と後手が一手ずづ交代ならばさほどでもないけれど、空手や人生の攻防においては、先手に成りっぱなし、後手に成りっぱなしがあり得て先手に成れば有利で後手に成れば不利である。で、空手の攻防では先を取るには‘3つの先‘、3つのタイミングしかないんである。先を取るとは、仕掛ける、攻撃を出すということである。そして攻撃を出すタイミングは3つしかないということである。で、まずは「先の先」である。もーこれは自分から仕掛ける、相手が動く前に自分が先に動くという、まったくもっての先である。サンドバックを相手に打つようなもんである。超簡単である。それでやりたい放題で一方的に圧勝となれば良いのだけれど、相手が人間となると相手も打って来てそう簡単にはいかんのである。相手が打ってきたり仕掛けられた瞬間に後手になってしまうのである。だから相手が先に動いてきても先を取るんである。その一つが「後の先」である。相手が出した攻撃を受ける捌く躱すなどして、その相手の攻撃の動作が終わる前に攻撃を出して先を取るんである。「先の先」よりも相手を崩した状態であるから有利になる。さらにこれより有利になるのが「後先の先」である。相手が攻撃動作に入るのを見切り、その攻撃を今まさに出そうとするその初動が始まった瞬間に攻撃を出して先を取るんである。いわゆるカウンターというやつである。これはものすごーく有効で有利になるんである。この「後の先」と「後先の先」は相手が攻撃中であるということが前提である。相手の攻撃の動作が終わってから攻撃を出すは「先の先」であって、かなり多くの人が「先の先」を互いに無意識に交代しながらやっているだけなんである。強ぇー人は猪突猛進で「先の先」だけで上手くやれるだろうけど、そんな強ぇー相手に攻撃を出されて自分が後手となるときに「後の先」や「後先の先」で先を取ることがワタシらのような弱い人間には必要なんである。そんでこの先をしっかりと身に付けるんである。で、この‘3つの先‘、この3つのタイミングを突き詰めながらやっていくと、意識が変わってもう一つの先が観えるように成るんである。相手が攻撃しようと意識したことがわかり、その攻撃動作に入るどころかその意識が動く瞬間に動いて先を取るんである。人間が脳みそに指令を出して動き出すまでにはコンマ何秒か時間がかかるんである。このコンマ何秒の間を狙い撃ちである。これは相手の意識に自分の意識で脳みそに仕掛けるという、意識の高等技術である。最高の先である。これをやられちゃった相手の脳みそは大パニックになっちゃうんである。そんで動けなくなって、まるでお人形さんである。お人形さんが相手なら楽勝である。やっぱ武というモンは深ぇーのである。

 

 

 

こんくらい出来るように成ると、勝ちてー、強くなりてーなんて思いもなくなるし、

 

向上心てなモンがどんどんなくなって、廃人みてーに成りかねないのである。

 

でも、こんくらいに成ると自分の心が摩訶不思議に成ってもいるんである。

 

武は深ぇーのである。とても素晴らしいのである。

 

こうして空手では他人さまより少し前に出れたけれど

 

人生の他のことを放ったらかしでやってきたんだから当然っちゃー当然であるけれど

 

後手後手の崖っぷち人生になっちゃったわけでもある。

 

が、それが起爆剤となって、咲心館という、ワタシの向上心の復活である。

 

そんで空手というもので、後手の人生の先を夢見るわけである。

 

どう成るか?は精一杯やってれば、いずれ結果が出るのである。

 

良い結果か?良くない結果か?は偉大なるククリヒメちゃまにお任せである。

 

うまくいくといいね。

 

 

 

 

ま、とりあえず、向上心が復活して、廃人みてーに成らずに済んで良かったー。

 

 

 

 

咲 心太郎

国常立尊のお告げ本!?②

 

連日、おちゅうごく製ウィルスでテレビは大騒ぎである。

 

テレビであの人たちがワーワー言うてどうにかなるんかね・・・。

 

そんで、桜国会なんてやってていいのかね。

 

もうそこらじゅうに蔓延してると思うのはワタシだけなんでしょうか。

 

東京オリンピック開催も大丈夫なんだろーか。

 

日本に行くな!って言うてる国もあるそうだし。

 

なんか「日月神示」の通り!?になってるような気がするんだが・・・

 

いよいよ「神vs人間」の戦い!?が本格的に始まっちゃったのかね。

 

だったらこんなんまだまだ序の口らしいでー・・・お~怖っ。

 

 

 

 

世界中のあちこちで天変地異が頻発しているんである。大雨、洪水、台風、地震、火山、山火事、氷河減少、バッタの大量発生・・・と、自然も生き物であるから変化するんである。こんな天変地異が起こったって自然は死なねーし、地球温暖化になっても地球は滅びないんである。ただ人間がヤベーんである。人間の生存が危うくなって来てるんである。そんなときにこんな時代にまだ人間同士が争うんである。ガセネタかも知れないが今回はおちゅうごくが生物兵器をミスったのだという情報がネットではたくさんあるんである。本当ならばダメだこりゃ~である。こんな情報をテレビでは全く取り扱わないことに違和感を覚えるんである。で、わが国のお偉いさんたちは桜がどーたらこーたらやって権力争いに夢中である。

 

 

一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らせて呉れよ。この神は世界中のみか天地のことを任されている神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うていると間違ひが起こるから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う神心にかへりて呉れよ。この岩戸開くのは難儀のわからん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからはお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ、欲張っていろいろ買溜めしている人、気の毒が出来るぞ、神よく気を付けて置くぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから・・・

 

 

日月神示」が神のお告げでないことを願うばかりである。

 

まだ一日に10万人にはなってないから大丈夫かも知れないのである。

 

が、強欲傲慢な人間が多い時代になってこの神示通りに進んでいるのは事実である。

 

でも「心のお洗濯」をすれば助かるとも示されているんである。

 

神示が事実ならば、マスクを買い占めているヤツはヤバいんである。

 

しかし、こんな根性のヤツばっかである。

 

ワタシは‘神示を信じ‘「心のお洗濯」に励むんである。ここでもダジャレかよ。

 

って生き残りたいわけではないのである。で、マスクも予防もしないんである。

 

自分だけ生き残ったって不幸なだけである。

 

ただ、ワタシは神ちゃまたちの言うことを聞くのが大好きなんである♡

 

「心のお洗濯」とは、自分で、良いと思う自分にしていくことである。

 

ワタシにとって、良い自分にとは、ワタシの空手が良くなることである。

 

それがワタシの生きる歓びなんである。

 

そんで人類の生命の存続にほんの微力ながらも貢献出来るんである。

 

どなたもなにか自分が良く成れるものを見つけてくだされー。

 

正神は人間が生きる歓びを知る姿を見て歓びたいんである♪

 

そうして、ますます良い時代、ますます良い世の中に成っていくんである。

 

 

 

 

 

神や仏の話をすると??てな顔をするくせに・・・初詣でとか…お墓を参るのはなぜ?

 

 

 

 

咲 心太郎

 

憧れる心、子供のような心。

 

ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

 

 

いきなりなんだよ!コレは!である。

 

脳みそがお壊れになってるヤツのやることはこんなもんである。どーだ、参ったか。

 

13佛真言の一つ、「不動明王真言」である。

 

空海さんというお坊さんは「虚空蔵菩薩真言」をアホほど唱えて

 

脳みそがお壊れになったそうである。あ!お悟りを開いたそうである。

 

虚空蔵菩薩真言」は脳みそに氣がガンガンいくんだそうで

 

脳のてっぺんの氣道が開くんだそうである。で、おバカに成れるんである。

 

コレは、ちょっと危険なんだそうである。

 

そんで「不動明王真言」である。

 

コレは、肚に効くんだそうである。そう臍下丹田である。

 

真言に意味なんてないんである。ただ唱えりゃご利益があるんである。

 

丹田を育てたい人は「不動明王真言」を唱えるんである。

 

唱えるほどに効果が出るけれど、氣の急変はよろしくないから

 

やっぱり、‘日々コツコツと‘をおススメするんである。

 

緊張した場面なんかでは、しばらく唱えると効果てきめんである。

 

でも、人目に付かないところでやることもおススメするんである。

 

人目に付いたら変質者へと変貌させられてしまうかも知れないのである。

 

って、だれもやらんやろ。

 

ま、1000人に1人、いや10000人に1人、やる人がいれば良しだな・・・。

 

ダマされたと思って唱えてみてちょ♪

 

ダマされたとしてもなんの損もしないし♪

 

今のアナタよりは、肚がすわるでー。

 

 

 

 

10年くらい前にこの13佛真言を知り、欲張りなワタシは全部の真言を毎日バカみたいに唱えていたんである。本当は順番があって下から氣道を開かなアカンらしいのだが、独学のワタシが知るわけなんてないんである。で、真言を見つけたワタシは「なんか凄く成れる!んじゃないか!」と思って全部の真言を毎日1時間ほど唱えていたんである。そしたら身体のあちこちが何かヘンになっちゃったんである。こりゃいかん!と思っていろいろお調べになって「不動明王真言」だけでいいことを知り、ヘンにならなくなったのである。そしてもちろん肚は育ったのである。知識不足のワタシの人体実験はいつも命がけなんである。そんでなんでワタシはこんなバカな人間なんだろうかと思うんだが、どうやらワタシは‘憧れやすい‘性格のようである。すぐに憧れてしまうんである。憧れるとすぐに真似してやってしまうんである。そんですぐに飽きればいいのだけれど、飽きても効果を知るまでは辞めないというやっかいな性質も持っているんである。ワタシはしつけーのである。でも効果が出たときの喜びが大きくて、また何かに憧れてやってしまうんである。で、やることが増える一方である。憧れる心がデカくなる一方である。で、歓びもデカくなる一方である。‘憧‘って文字は童と心である。子供のような心ということである。あ、そういえば、ワタシは子供たちにもよく「大人げない」とか「わらびしい」って言われるナ。そんで間違いなく、自分でも精神年齢が低いナ。と思う。そんなワタシの童心は空手道一直線であるが、まだまだ知らないことだらけわからないことだらけ出来ないことだらけやりたいことだらけ・・・の空手人生である。

 

 

 

ずっとこの憧れる心、子供のような心を大切にしたいと思うんである。

 

というかワタシという人間は大人の心がつまんねーのである。

 

そんな子供のようなワタシは、周りの人たちに迷惑ばっかの人生である。

 

で、最近ちっとだけ大人の心になって、

 

子供のような心でやってきた空手で少しお返しが出来たらなー。である。

 

そのためには、やっぱり、子供のような心で空手にお励みになるしかねーのである。

 

 

 

 

と、今生ではこのままいくしかねーのである・・・お返しは来世でネ。である・・・

 

でも、そんな来世というものがあるかどうか?・・・は、

 

死んでみねーとわかんねーのである。

 

なので、やっぱり今生でお返し出来たらなー。と、いろいろ思案の日々である。

 

 

 

 

咲 心太郎

 

「起承転結」と「守.破.離」。

 

「365日、毎日書くゾ!とりあえず100記事だー。」

 

と、このくだらねーブログも50記事を超えたのである。

 

ま、‘内容はなんもナイヨウ‘なブログだけれど

 

ワタシがこんなに文章を書けるなんてワタシを知る人の中には

 

驚いている人もいるかも知れないのである。

 

あのね、「ワタシは天才なんである。」自分で言うな、バカ。

 

実はネ、ワタシね、武の師だけじゃなくてね、仕事の方にもいてね、

 

数年前に累計100万部の本の著者でコンサルタントの先生に

 

3年間ほど文章の書き方を仕込んでいただいたんである。

 

その方の指導法が「とりあえず書け。とにかく書け。」である。

 

で、とりあえず手書きで文章を書いてFAXで送る。

 

その後、電話でダメ出しのオンパレードである。

 

でも、どう直したらいいかは教えてくれないんである。

 

そんで、自分で考えて直して書いてまたFAXするんである。

 

またまたダメ出しのオンパレードである。

 

その繰り返しである。

 

そんな2年が過ぎた頃・・・

 

「オマエ、もう文章は上手く書けるようになったナ。」

 

と、ようやくお褒めの言葉をいただけたんである。

 

「でも、内容が・・・ナ。」

 

である。トホホ。

 

 

 

 

内容に関してはワタシの脳みその問題だからどーしようもないんである。しかし、3年間、みっちりきっちり指導を受けたんである。「やるって言ったヤツで、今までに続いたヤツは一人もいないゾ。」と最初に言われたんである。そしてワタシの心は燃えるんである、こういうの。で、最初に教わったのが‘起承転結‘である。「どんな短い文章にも‘起承転結‘でリズム感を持たせろ。」・・・なんのこっちゃ?である。で、とりあえず書いて送ると「これは起承転結じゃない!起、起、転、起になってるじゃねーかー!」って叱られるんである。ま、当時は脳みそがパンクするんじゃなかろーかてな日々だったけれど、今となっては笑える思い出である。で、ワタシがなんで褒めてもらえるまでがんばれたか?やはり空手のおかげなんである。武道には「守.破.離」という教えがあり、ワタシはすでに空手でこれを体験していたからである。「守」は師の教えを徹底的に守るんである。言われるまま素直な心で師の全てを信じてやるんである。それを何年か続けてると「師の言う、ここは、こうしてみよっかなー。」と自然に「破」の段階になり、自分のやり方を少し取り入れるようになるんである。師の教えを守りながらも少しだけ自分のやり方を織り交ぜるんである。これをまた何年か続けてると「離」という段階に自然となり、「すべてを自分が思うまま」にやるようになるんである。師とは違った自分の形が出来るんである。そして「青は藍より出でし藍より青し」となるんである。‘青‘は弟子で‘藍‘は師である。師のいる方はこの意味が心の実感でわかる日まで頑張っていただきたいと思うんである。で、そのときの自分に歓びおったまげていただきたいと思うんである。ちなみに正拳突きも、スーと動き始め、加速し、バーンと弾けて、引いて構えに戻る、という起承転結なんである。また空手の型なんかは、師に教わったやり方で型稽古をやり続けて「守.破.離」の段階を正しく踏んだら…師とは違った美しい型になるんである。

 

 

コンサルタントの先生とは、ここ数年、疎遠になっているけど

 

先生に教え育てていただいたワタシはこうしてブログに活かせているんである。

 

ネタさえあったら、いくらでも、すぐに書けるんである。

 

でも、この文章を先生が見たら・・・

 

「起承転結がむちゃくちゃじゃねーか!書き直せー!」

 

って叱られるに決まってるんである。

 

でも、ぜんぜん平気なワタシなんである。

 

で、先生はそんなワタシを微笑んで認めてくれるんである。

 

「離」の段階とはこんなもんである。

 

 

 

 

後は人を楽しませる内容でさえあれば…問題ナイヨウとなるんだが・・・だめ?何が?

 

 

 

 

咲 心太郎