無名でも大した結果が出せなくても・・・

 

朝早くからお店の前の道路で工事してる・・・

 

音に敏感なワタシにはアスファルトを割る音が地獄なんである。

 

今日のワタシは大変ご苦労な一日となりそうである。

 

ただでさえロクな文章を書いていないのに

 

こうも嫌な音で脳みそをコツかれ続けていたらどうなっても知らねーゾ。

 

で、今日は放送禁止用語だらけで書きたい気分になっちゃったゾ。

 

けど、咲心館のイメージが悪くなっちゃうしなぁ・・・。

 

「どっちに行く?」

 

と、人生は、いつだって、ほぼ二者択一なんである。

 

で、昔のワタシは迷うことなく放送禁止用語だらけを選択したけれど

 

今のワタシは咲心館のイメージダウンは避ける選択をするんである。

 

ワタシの御心というものは進化成長を続けているからなんである。

 

でね、道路を片側通行にして警備員が立って車の誘導をしてるんだけどサ、

 

それがネ、おねーさん?おばさん?なんと女性なの。

 

冷たい雨風の中、この仕事を女性がやってるのにもうビックリね!である。

 

そんでネ、女性がずっと雨風の中を立ってやってるからちょっと心配になって・・・

 

(トイレにも行けずに大丈夫なんやろーか?)

 

なんて思ったりするんだけど・・・

 

(あーオムツプレイ好き♡ってことね。)

 

と、頭の中であれこれの妄想を楽しむのである。ムフフ。

 

 

 

って、オマエ、どっち行ってんねん。

 

 

 

たった今、ワタシのせいで咲心館の暗い未来が垣間見えたのである。

 

それで道場生の皆様に心から深くお詫びを申し上げます。

 

お願いだから、こんなワタシをお見捨てにならんといてー。

 

 

 

 

こんな失態をしたまま終わる咲心太郎ではないんである。すぐさま名誉挽回汚名返上起死回生逆転満塁ホームランを放つ、深いい話を書くんである。どーでもいいから句読点を打てって。やなこったいである。ワタシは30代の頃はグローブ空手(キックボクシング)というお遊びもやっていたから当時のお弟子さんの中で一人、プロボクサーになった子がいるんである。もう引退してるこの子の話はいずれまたの機会に!である。で、ワタシはこのお弟子さんのセコンドをやっていたんである。プロボクシングは4回戦、6回戦、8回戦、10回戦と、みなさんご存じの12回戦とランクがあるんである。テレビでよく見る世界戦は12回戦であるが、実はテレビには映らない下のランクの前座試合がたくさん行われているんである。で、ワタシのお弟子さんの10戦目くらいに行った時だったか、試合のパンフレットを見てたら、とある4回戦ボクサーの戦績に目が止まったのである。0勝たしか10敗くらい。勝ちなしである。負けっぱなしである。で、そのボクサーの試合を見てみたんである。ヒデーんである。ワタシでも左手一本で勝てるんじゃないのかね?というレベルである。30代でギラギラしてたワタシは「みっともねーからもう辞めろ。」と思いながら見てたんである。その後も試合を見る機会があるたびに負けが増えていくんである。そんな4回戦ボクサーを見つけてからその負ける姿を見続けてから3,4戦目、「また負けるからもう辞めとけよ。」と思って見てると、やっぱりやられっぱなしである。で、あーまた負けるね。と思った瞬間、まぐれカウンターがドンピシャ!で、なんとK.O勝ちになっちゃったのである。「けっ、まぐれ勝ちやん。」と思ったら、なんとそのボクサーがリング上で子供のように大声を上げて泣きじゃくったのである。そんですぐさまお年を召されたジムの会長もリングに上がり、二人で抱き合いながら大号泣である。嗚咽泣きである。世界チャンピオンになった人でもここまで喜んで泣いた人はいないだろうくらいに泣くんである。それ見た瞬間ワタシの思考は停止し時間が止まったのである。ワタシはこの見下していた負けっぱなしの4回戦ボクサーというランクの低い人間に生きるということ、生きる上で大切なこと、生きる喜びを…。この泣きながら抱き合う若者と老人の二人の姿が眩しいくらいに光って見えたのである。何故なら、ふと気が付けば、ワタシの頬にも涙が流れていたからである。

 

 

 

名前も顔も思い出せない・・・

 

この4回戦ボクサーのことを思い出して書いてるだけで

 

また涙がこぼれそうになるんである。

 

この日、この時、ワタシが流した涙と一緒に

 

‘結果主義‘というモンがどこかへ流れ出て行ってしまったのである。

 

そうしてワタシの心が大きく変えられてしまったのである。

 

おそらくこの4回戦ボクサーはあの勝利のあと間もなく引退しただろう・・・

 

あの日から10数年・・・ボクシングではぜんぜんダメだった彼が

 

今の人生を、どんな風に歩んでいるか?

 

今のワタシが想像するには容易いことだナ。

 

 

 

 

無名でも大した結果が出せなくても・・・素晴らしい人間って、いっぱいいるんだゾ♪

 

 

 

 

咲 心太郎

脳みその中に正拳突き。

 

今日は仕事も道場稽古もお休みなのでの~んびりとブログを書けるのである。

 

昨日まではお店の決算時期だったのであれこれの合間に慌てて書いていたんであるが

 

逆にこうして時間に余裕があると何を書こうかしらんとネタが浮かんで来ない・・・

 

で、パソコンに向かって話しかけるように思いつくまま書き出しているんである。

 

ネタがない、こういう時こそ人気ブロガーとしての腕の見せ所である。

 

 

って、誰がブロガーやねん!で、どこが人気やねん!

 

 

と、昭和のボケとツッコミを書いて自分でもホントに恥ずかしくなるのである。

 

で、くだらなさ過ぎてもう人気お笑い芸人として失格である。

 

 

って、誰がお笑い芸人やねん!で、どこが人気やねん!

 

 

しつけーのである。消せよ、このくだらんの。

 

と、思うけどめんどーだから消さずに次から次へと書くんである。

 

あ、ちなみにワタシは人気ブロガーでも人気お笑い芸人でもなくて

 

 

知名度の低い超ウルトラミラクルレジェンド空手家☆

 

 

なんである。これはマジである。でも意味不明である。

 

って詐欺師でも自分のことをこんなたいそーに言わないだろ。

 

うぅ~、かなり見苦しい文章になってきたゾ・・・やっぱ消そっかな。

 

いや、書き出した以上、最後までまっとうする、それがワシの生き様じゃー。

 

けど、ネタが浮かばへん・・・。

 

しゃーないからいっぺん脳みその中に正拳突きをブチ込んでやりますわー。

 

 

 

せいやぁ~~~ボコッォォォーン。

 

 

 

ダメだな、文章力がまったくないな、保育園児かヨ・・・またおバカ丸出しや。

 

 

 

 

 

生命とは力なんである。植物は茎を伸ばし葉を茂らせ花を咲かせる力、魚は海中を泳ぎエサを食べる力、石ころは固くじっとしてる力・・・と、すべて力なんである。で、これらすべてに自然の力が働いて生きているんである。そして人間には他の生命とは比べ物にならないほどのたくさんの力が与えられているんである。でも少々ヤンチャなワタシは高校中退という立派な肩書き!?であるから文章力なんて力があるわけねーのである。でも小さいころから運動が大好きだったので殴る蹴るの空手の力は凄くなれたんである。また好きになったらとことんやる性格がワタシの思考力も育て、フルコン空手の世界において普通は殴る蹴るの力は筋力しかないのであるが・・・あ、殴る蹴るというよろしくない表現はここで辞めるネ、で、ワタシの突きや蹴りはほとんどこの筋力を使わないのである。ここで言う筋力とは表層筋肉のことである。空手の突きや蹴りの動作を正しく知り、正しくやれるようになるとこの筋力をほとんど使わないのが自然なんである。しかし表層筋肉しか使えないように育てられて来た現代の空手家たちのほとんどは表層筋肉を鍛えることに躍起になっているんである。が、歳を重ねるごとに苦しくなるわ衰えるわでお辞めに成らざる負えなくなるわけである。それは表層筋肉の力には自然の力が働かない!からなんである。表層筋肉を動かす働きの大半は大脳からである。大脳はおもに思考などを司る脳みそで生命の力とは関係ないんである。その下の大脳辺縁系や脳幹てな脳みその方に自然の力が働いていて武術としては大切なんである。空手の正しい動きをやると大脳の働きが弱まり、大脳辺縁系や脳幹など生命にかかわる脳みそに刺激が行くんである。そんで生命にかかわる脳みそが活性化されてこれらの脳みその働きから動きを生み出すようになり突きや蹴りにも自然の力が働いた自然な動きに成る。ということなんである。この突きや蹴りには、重力、遠心力、慣性の法則など、この宇宙や地球に働いている力が働くのである。重力が働いた突きは重ぇ~のである。重力なんだから当たり前である。我々は‘宇宙の中の地球にいる存在‘なんだからこれらの力は誰にでも働いているんである。だけど大脳から働く動きはその人間の能力である筋力しか出せなくてこれら自然の力は外に出ることなく体内で止まってしまうのである。まぁ、それでも個々の人生というのは大脳の働きという個々の思考を使って歩き、その個人の楽しみ苦しみを味わうのが人間として生まれた特権であるわけでもある。でもその大脳ばっかり使ってると疲れるわ身体が弱くなるわというマイナスな面もある。そんな矛盾を解消してくれるのが空手でもあるのである。空手の稽古で正しく身体を動かすことは大脳を休ませ、生命の力、自然の力を補充するという健康にも大変よろしいことなのである。やっぱり何よりもまずは健康である。

 

 

 

高校中退という人さまよりも早くにお勉強というものから足を洗ったのに

 

それ以上に空手の神ちゃまという存在に長年お勉強を強いられているワタシである。

 

で、その教えをこうしてブログでお伝えしているわけであるが

 

やっぱり学歴通りのワタシの文章力に問題アリなのかも知れないのである。

 

その前にワタシの空手の神ちゃまの教えが問題アリなのかも知れないのである。

 

でも「自力より自然の力の方がスゲーに決まっている」のは間違いのないことである。

 

また自然の力の働きによって生かされていることも間違いのないことである。

 

そんな自然の力の働きを使って自力を活かすんである。

 

脳みそフル稼働で空手や人生を楽しむんである。

 

 

 

 

さすがワタシの正拳突きである・・・一撃で脳みそフル稼働でブログ書いちゃう・・・

 

で、突かれた脳みそが疲れたー!である。

 

やっぱ、消せ。

 

 

 

 

咲 心太郎

真面目に遊ぼう♪

 

昨日、お弟子さんから写真が送られて来たのである。

 

このお弟子さんのお母さまの作品だそうである。

 

 

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見た瞬間、心がほっこりにっこりである。

 

ワタシが目指す未来の姿の一つがコレである。

 

ご趣味でお人形を作られているそうなので

 

おそらくご自身のご夫婦の姿を思われて作られたのだと思うのである。

 

あれもこれも…いろいろあった40年以上を連れ添った、寄り添った姿である。

 

で、写真を見てると何とも言えない幸せな気分になるんである。

 

このお人形からたくさんの‘愛‘が溢れているように感じるんである。

 

ワタシの心がすごく安らいで優しく成らせてもらえるんである。

 

 

 

そんな優しいお母さまのもう一作品が

 

 

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コレである。

 

見た瞬間、キリッ、ピリッと気が引き締まるのである。

 

さっきのお人形の優しさとは違って少し厳しさを感じるのである。

 

何年か前に大病を患ったと聞いたことがあるので

 

おそらく‘死‘というモノを身近に感じたのではなかろうかと思うのである。

 

そんな長い人生経験とご苦労を乗り越えて来た方の・・・この言葉、この字である。

 

とても深イイのである。

 

空手で喰らうどんなスゲー突きよりも

 

緩み過ぎたワタシのど真ん中を打ち抜いてくれるんである。

 

 

 

 

 

40歳の時に摩訶不思議な師の摩訶不思議な心とその技をいただいて「幸せは、成るんじゃなくて在る。」という心境に成れたワタシなのである。しかし、まだまだ若輩モノのワタシなんて次から次と起こる現況の苦しみに負けてこんな心境もどこへやら?の毎日である。で、幸せはどこ?ワタシはだぁ~れ?と迷い子の日々である。仕方ねーのである。神がこういう風に人間をお創りになられてお遊びになっているんである。お遊び好きな神が創ったワタシなんだからこんなワタシの人生を全てお遊びだと思って生きてやるんである。空手も仕事も家族も・・・なんもかんも、人生というお遊びを夢中になってやるんである。そんで、もーちっと年を取った時にこのお母さまのような心になれたらいいなぁーと思うんである。こんな心にワタシの心が自然にそう成るにはまだまだ空手の稽古修行精進と人生経験というお遊びの時間が必要なんである。でもこのお母さまのお人形と格言を見てこんな風に思えた今、幸せである。

 

 

 

ワタシの人生とは

 

現在70億人いる地球の中で出会った、たったわずかな人たちと日常を歩むことである。

 

世界中にいるそのほとんどが会うことも知ることもなく終わる人たちばかりである。

 

人類誕生から考えたら・・・今のワタシが出会った人の確率はとんでもねーのである。

 

そんなとんでもねーほどのわずかな出会いの中で、ケンカしたり・・・とか

 

ホント、自分でもったいねーと思うんである。

 

こんな奇跡と思える出会いがあって、空手の仲間や友がある。

 

夫婦なんて、「もー、どんだけスゲー奇跡の出会いなんだー。」である。

 

そんなすべての奇跡の出会いを大切にしたいもんである。

 

そんで出会った人を大切にしたいもんである。

 

それが自分の人生を大切にするってことだと思うのである。

 

こんなワタシも少しはお年を召されてるってことである。

 

もー50歳だもんね。しっかりせーよ!

 

 

 

「ワタシが幸せなのは、自分が不幸であることを忘れちゃったからだ。」

 

 

 

すぐ、パクる。

 

で、すぐ、ヒネる。

 

そんでワタシの格言である。

 

「人生はお遊び♪なのだー♪ 」

 

真面目になって遊べば、どんな人生でも楽しく成るんである♪

 

ワタシはやっぱりどこまでもクソガキのまんま♪なんである。

 

 

 

 

咲 心太郎

国常立尊のお告げ本!?

 

新型コロナウィルスが国内でもヤベーことになってきたような気がするナ。

 

原因を作ったおちゅうごくの映像で完全防護服姿などを見ると

 

うがい手洗いマスクでホントに予防なんて出来るのかね。

 

日本でも‘爆発‘が起こる場合に備えて、良く食べて飲んで寝て、空手やって・・・

 

そんで笑顔で過ごして自分を元気にして免疫力UPしておくしかないですナ。

 

 

 

30代の10年間ほど大量に本を読み漁っていたワタシなんですけれど

 

そのワタシのお気に入りNO.1の本は、「日月神示」。

 

コレ、戦中戦後の17年間!?やったかな、

 

岡本天明という方に国常立尊が降臨して自動書記によって書かれたという

 

神さまのお告げ本なのだ。

 

まぁ、変わりもんが大好きなワタシにはヨダレもんだったわけです。

 

内容は人それぞれにいろんな受け取り方が出来るのだけれど

 

人生の指南書でもあり、世界の預言書でもある。

 

国常立尊という神さまの言葉として当時のワタシは100%信じて読んでたわけです。

 

「心のお洗濯をせーよ。」

 

「これからの時代は神の力を見せたるゾ。」

 

大雑把にいうとこんなことがたくさん書かれています。

 

 

 

 

 

富士は晴れたり、日本晴れ。神のまことの神の力をあらわす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂を磨いて居らぬと越せぬ、この世初って二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。・・・

 

 

こんな感じで始まる「日月神示」、国常立尊のお告げであります。

 

バカバカしいと思われる方が多いと思いますが

 

ワタシには人生の指南書として大いに役に立ちました。

 

で、また、戦中戦後のこのお告げが今の時代に当てはまることだらけなんです。

 

大雨、洪水、地震、火山の天変地異・・・そして疫病が流行る・・・とまで。

 

で、「心のお洗濯」さえしていれば助かるそうであります。

 

でも、「心のお洗濯」をしてない人はどうやっても助からないそうです。

 

ウソかホントかわからないけれど、ホントの場合に備えて「心のお洗濯」です。

 

ウソだったとしても「心のお洗濯」をしても‘損‘は無いでしょ♪

 

そんで、このお告げを知った15年くらい前から「心のお洗濯」をやってるけれど

 

まぁ、ワタシの心は汚れすぎていてなかなかキレイにならんがね・・・。

 

ただ、がんばってるから新型コロナウィルスからも守ってくれるでしょ♪

 

 

 

初めてこの「日月神示」を知ったのは

 

この神示の一部を取り上げて、著者が解説してる本でした。

 

そんで気に入ってどうしても原文を読みたくて必死に探すけど、どこにもなくて・・・

 

すると、ある日突然、原文の本がよく行く本屋の棚に新発売で並んでた・・・

 

「ヤッター。」と手にしてみたら、なんと8千円!

 

本は分厚いけど、表紙も薄く印刷も安い作りで・・・(こんな本が8千円もするん?)

 

それから4時間くらい迷ったれど・・・買いました。

 

で、よー読みました。

 

で、今のワタシがある。

 

 

 

 

このブログ読んで、興味を持って読む方は…怖ぇー神でもあるからビビらんようにネ。

 

 

 

 

咲 心太郎

心の中にある剣。

 

今日は心の話である。

 

脳みそがお壊れになってるワタシの話だから

 

正常者の方には受け入れられない話かも!?である・・・。

 

 

 

 

心というモノは無色透明の‘ただの力‘である。これに色をつけるのは自分の思考である。思考というモノはただの物質で何の力も持ってないんである。それで思考と心がくっ付くと感情という力となってその人に現れるのである。怒る思考とくっ付けば怒りとなり、悲しい思考とくっ付けば悲しみとなり・・・思考に心という力がくっ付いて表情や行動という人生に現れるんである。なので良い思考と心がくっ付けば良い人生になるんである。しかし、そう簡単ではなく、憎、怒、悲、哀、苦、貧、妬、恨、嫉、悪・・・こんな思考とばっかり心がくっ付きやすくて、そんでシケたツラの人生になられる方が多いのである。その代表が人類史上最低人間として生まれたこのワタシである。長年に渡り、誰彼かまわずキレる怒る人生を歩んできたのである。その繰り返しにより心の力が大きくなって、どんどんキレる怒るがエスカレートしていったのである。本気になるほど心という力がどんどん大きくなっていくんである。そのまま行ったらそのうち犯罪者に・・・そんなワタシは幸運にも空手に出会い、空手の神ちゃまに出会ったのである。空手の神ちゃまがワタシに与えた一番の課題が「キレるな!怒るな!」だったのである。そう言われてもそう簡単には治らないのである。でもワタシは空手の神ちゃまの言うことを心から信じながら、キレて怒っては反省し…を10年以上繰り返し、そんで心というモノは無色透明で澄んでいることがわかったのである。心を汚すのは自分の思考だということがわかったのである。でもこの思考というヤツもやっかいなヤツで望もうと望まないと勝手に脳みそに入って来るんである。勝手に入って来るモンはどうしようもないのである。ワタシに入って来る思考はキレる怒るというようなモンばっかである。そんでまたキレる怒るわけである。しかし、ある日、ついに見つけたのである。ワタシの心の中にある剣、思考と心を瞬時に断ち切る刀、力があったのである。随分と前に空手の神ちゃまにこの剣の存在を教えられていたけれど10年以上をかけてようやく見つかったのである。この剣を見つけてからはキレる怒る思考と心がくっ付いた瞬間、ズバッ!で終わりである。そのうち脳みそを漂う思考は出て行ってしまうんである。そんでキレる怒る思考に引きずり回されていたワタシのキレる怒るという行動は、ワタシがこの剣を使うか使わないかに支配されたのである。ワタシは感情に使われる人間から感情を使う人間になったのである。どんなヤバい感情になろうともこの剣を使って断ち切れば、瞬時に透明な心になれるんである。思考は道具。心は命。なんである。悪い思考という道具に命を与えなければなんでもないのである。どなたにもこの剣があるのである。どうか精進して見つけておくんなせー。そして良い思考に命を与えておくんなせー。

 

 

 

今から筋トレである。

 

仕事中に何やってんの?って思考もこの剣でブッタ切り!である。

 

そんでバーベル担いでも微笑んでやるんである。

 

顔をにっこり緩めると心も緩むんである。

 

緩んでバーベルやると気持ちいいのである。

 

ワタシはキツいという思考の稽古はやらないんである。

 

で、スクワットは体重53kgなのに140kgくらい担ぐんである。

 

それでも微笑みながら緩んでやるんである。気持ちいいんである。

 

たまーに緩み過ぎて‘あわや‘ってなってビビるときもあるんである。

 

そんなビビりもすぐにブッタ切り!である。

 

そしてまた微笑んでやるんである。

 

ホント、おバカである。

 

 

 

 

ワタシの脳みそって一体どうなってしまったのかしらん・・・。

 

 

 

 

咲 心太郎

 

空手 イズ my おんりー LOVE♡

 

‘名将ノムさん‘がお亡くなりになられちゃいましたね。残念です。

 

でも、どんな偉人でも凡人でもみんな死ぬんであります。

 

そんでそのうち忘れ去られちゃうのであります。

 

スゴい‘愛妻家‘でも知られてましたが、サッチーと同じ病気で逝くとはさすがですネ。

 

生前、「サッチーが迎えに来てくれん。」とボヤいていたそうな。

 

人類史上最低人間として生まれたワタシにも嫁ちゃんがおりますが

 

人類史上最低人間のワタシが嫁ちゃんを大切にするハズなんてあるわけありません。

 

若いときは博打、そんで空手にハマり家庭や家族なんて放ってやりたい放題のワタシ。

 

そんな10年前、師に出会ったときに

 

「アナタの空手は素晴らしいけど、あなたの奥さんがいいからですね。」

 

ワタシの嫁ちゃんのことを全く知らない師に言われ

 

(何をおっしゃいますの!ワタシが今まで命を懸けてやって来たからですよ!)

 

そんときは頭の中で逆らっていました。

 

そんなことも忘れた、それから5,6年経ったある日突然、

 

「オレって、嫁ちゃんのおかげで今が在る。」

 

と、特別なんかあったわけでもないのに

 

 

ただ、ふと思った。

 

 

のである。

 

 

 

 

師から学ぶというのはこういうことなんである。そんときは師の言うてることがわけわからないのである。でもワタシは師に対しては頭で逆らっても心は絶対服従なんである。だから言われたときは何言ってんの?と頭で思うけど心でちゃんと聞いているから心に入った師の教えが時間をかけて心から頭に入って来るんである。この師匠さん、相手に触れずに相手を崩す!なんていうスゴ技もお持ちになっていて、師に出会ってたった一度その技を喰らっただけなのに、その2,3年後に突然、ワタシもそれが出来てしまったのである。これも師の技をワタシの真心で受けたからである。そんでホメてもらえるだろうと師にメールをしたら「そんな特異な道を歩いちゃいけません。」と返信が来たのである。ワタシの脳みそは(自分がやって教えたくせに何でオレは出来たらアカンの?)である。しかし、このメールの意味も数年が経つと、‘ふとわかる‘のである。言われたときにすぐわかるというのはもうわかっていることなんである。学ぶというのはわからないことや知らないことをわかる、知るということである。わけわからない師の教えを心で聞き、人生経験という時間を経て、‘ふとわかる‘のが真の学び、心の学びなんである。そんで人類史上最低人間のワタシですら嫁ちゃんの有難みを心で知ったのである。人間は頭じゃなくて心が一番大切なんである。

 

 

男は女の手のひらの上で遊ばせてもらっているんである。

 

だから男は女を大切にしなくちゃいけないんである。

 

と言っても、ご機嫌取りをするんではないんである。

 

ワタシは嫁ちゃんの有難みを知っても

 

 

空手 イズ my おんりー LOVE♡

 

 

なんである。

 

相変わらずのやりたい放題である。

 

ただ昔のやりたい放題とは少し違うんである。

 

そんで、これからも人類史上最低人間のワタシで生きるのである。

 

 

 

 

コレ、嫁ちゃんが読んだら・・・どう思うんやろ?・・・嫁よ、心で読めよ♪

 

 

 

 

 

咲 心太郎

自分磨き☆の職人♪

 

朝10時過ぎにワタシより7つ年上の方がご来店になられてネ、

 

男同士で3時間くっちゃべりでありました。

 

この方とは3年ほど前に知り合ったのだけれど・・・

 

「初めて会ったときは怖いというか、威圧感を感じました。」

 

と、言われてしまいましたー。

 

 

え!このボクを?ウソやろ!?

 

 

[合気ウィルス♡]に感染してからは優しいオーラしか出てないハズなんやけどなー。

 

自分で自分をどう思うも勝手やけど、他人がどう思うかも勝手やし仕方ないね・・・。

 

ワタシは空手の稽古で丹田がどんどんとデカくなってるからなんだけれど

 

相手をビビらせるつもりがないのにビビらせたら空手家としては失格ですねぇ。

 

40歳頃までは相手をビビらせることを生きがいにしてたから

 

もしかして!?まだその余韻でそんな雰囲気が出てるのかね・・・。

 

 

 

 

とか言いながら内心では少し喜んでる自分もいるんである。だって男の子だもん、ナメられたくはない。見上げてもらいたくもねーけど、とにかくどんな奴にもナメられるのは絶対にイヤなワタシである。「ナメられたくねーから。」これも空手に打ち込んでる理由の一つである。20年以上、毎日毎日ドツき合い、突きや蹴りの稽古をやってきてるんである。そりゃー、平和ボケしたかのようなこの時代にこんな野蛮なことをずっとやってりゃー素人さんに怖いと思われる雰囲気が出ても仕方ないんである。そんなワタシの正拳突きを見たお弟子さんが何とも思わないんではダメなんである。怖ぇーとかヤベーとかスゲーとか思われないんではダメなんである。たった一発の突きにでもその雰囲気が出なくちゃいけないんである。この雰囲気こそがワタシが空手でやってきたことの全てなんである。熟成すると発酵する飲食物があるが、人間は熟成すると発光するんである。技やその人の雰囲気として出るのである。何年も何十年も慣れても飽きてもただひたすらひたむきにやって来たんである。それで光らない方がおかしいんである。この宇宙では誰でも何でも‘磨けば光る‘ように出来ているのである。ダイヤも磨かないとただの石ころなんである。泥土でも丸めて磨けば光るのである。でも泥土をいくら磨いてもダイヤにはなれないんである。泥土には泥土の光、ダイヤにはダイヤの光があるんである。どっちがイイ光なのか?なんてーのは見る人の好みの勝手である。そうして自分の何をどのように磨いていくか?光るまで磨き続けられるか?どんな光が出るのか?これが生きる喜びなんではないかと思うのである。空手の稽古とは自分磨き☆をすることである。空手家とは自分磨き☆の職人♪なんである。

 

 

 

と、カッコのいいこと言うて言い訳をしてみたけれど

 

やっぱり素人さんに第一印象で‘怖い‘と思われたワタシはダメなんである。

 

で、早急に‘優しい‘と思われる自分へと自分磨き☆をすることにしたのである。

 

でも、やっぱり「ナメられるのは絶対にイヤ。」なんである。

 

が、これを捨てない限り、‘怖い‘という印象が消えないと思うのである。

 

あー、またしばらくは‘迷える子羊‘の人生である。

 

 

 

 

あなたはあなたでいいのである。

 

そんなあなたをあなたの思うように磨けばさらにいいのである。

 

そうしてあなたは光るのである。

 

 

 

 

咲 心太郎