おバカ人間養成所☆

 

最近、ブログの内容がぶっ飛び気味なような気がするナ。

 

今日は少し抑えて書こうかしら、と思うけれど、

 

やっぱりぶっ飛んで書いていこうと思うのである。

 

昨日も、嫁ちゃんはワタシのブログが全く理解不可能のようだったので、

 

稽古から帰ったワタシは一生懸命、お話して説明したのだけれど、

 

嫁ちゃんの脳みそはすぐにシータ波というパラダイスへ行ってしまうのである。

 

いつでもどこでも、すぐにシータ波になれるスゲー嫁ちゃんなんである。

 

脳波については以前に書いたので、今日は「脳みそと空手」を語ってみるのである。

 

 

 

どこかの国のペンフィールドというお医者さんだったか学者さんだったか、

 

ペンフィールドのマップ」と呼ばれる脳みその地図をお創りになったのである。

 

身体の各部位を刺激して、脳みそ(大脳皮質)のどの部分に反射しているか?

 

を示したマップなんである。

 

これを見ると、手は脳みその大部分を刺激する器官だということがわかるのである。

 

「手は、身体の外に出た脳である。」なんて言葉もあるんである。

 

なので、手や指を動かすと、ボケ老人になりにくい・・・

 

あ、失礼、認知症になりにくいとか言われるわけである。

 

また、幼いときにそろばんを習うと、計算力という脳みそも育つけれど、

 

細かく指を動かすというのが脳みそに大変よろしいわけなんである。

 

ピアノなんかも同様に脳みそによろしいわけである。

 

もちろんテレビゲームなんかもよろしいわけである。

 

人間が他の動物と違うのは2本足で立ち、手を器用に使えることである。

 

人間は手を使って、世界を支配し文明を発達させてきたのである。

 

手をよく使い、脳みそが他の動物とは比にならないくらいに遥かに発達したのである。

 

人間は賢いのである。それは手を使い、脳みそが発達したからということである。

 

その脳みそがその人の考え方や性格という自我、その人の個性とも言えるのである。

 

で、空手の稽古で手足を動かしている間も、常に脳みそに刺激が行っていて、

 

その人の自我を形成し、その人の個性という技が上達していくのである。

 

と、ここで突然だけれど、なんで?「空手」という名称なんだろーか?である。

 

素手で闘う、武器を手に持たないという意味では安易だし、

 

武術空手には武器術もあるから、これは違うはずである。

 

中国から来たから「唐手」が「空手」になったという説は、

 

ワタシの性格上、大っ嫌いでイヤなのでボツである。

 

なので、自分で考えることにしたのである。

 

 

先ずは、空手の「手」からであるが、

 

先述したとおり、「手」は脳みそ、脳みそは自我、自分ということである。

 

で、「空」なんであるが、空手の読みは「からて」なので、

 

「空っぽ」の「手」ということであり、

 

「手」は脳みそ、自我であるから、

 

「空っぽの脳みそ」、「空っぽの自我」と言えるのである。

 

つまり、

 

 

お釈迦さまの言う、「空の境地」。

 

 

結局、昨日のブログに無理やり結びつけてやるのである。どーだ。

 

空手とは「空の境地」を目指すツールなんである。

 

で、自我の脳みそを使う動きは、脳が指令を出して身体が動くまでに

 

コンマ何秒かの時間がかかるのである。

 

相手の動きを見て、脳が認識し、指令を出して身体が動くのには

 

コンマ何秒か時間がかかるということなんである。

 

つまり、闘っている2人は、お互いにコンマ何秒か経ったてからの動きという、

 

コンマ何秒後の世界でかみ合って闘っているわけである。

 

で、この大脳が「空っぽ」、「空」になると、0秒で動けるのである。

 

大脳が認識して指令を出すという時間がなくなるのである。

 

認識、指令、動きが同時になるんである。

 

で、片方の人は大脳を使い、もう片方の人は「空」で向き合い闘った場合、

 

大脳を使った人は、「空」の人のコンマ何秒か後の世界、

 

「空」の人のコンマ何秒か過去にいることになるわけである。

 

大脳の人からすると、「空」の人はコンマ何秒か先の未来にいる人間になるのである。

 

「空」になるとは、「今ここ」の現在になることなんである。

 

現実世界という現在には過去はもう存在してないから、

 

コンマ何秒か過去にいる人間が、現在にいる人間を捉えることは出来ないのである。

 

同じ場所にいても、意識によっている世界が違うのである。

 

空手を正しくやると、この「空」の脳みそになるかも知れないということなんである。

 

そんな「空」は大脳にはわからないのである。

 

そんで、ワタシみたいなおバカになるかも知れないということである。

 

だから「空」になんてならなくてもいいんである。

 

人生では正しい大脳を育てることが大切なんである。

 

でも空手は「空の境地」へのツールなんである。

 

どっちやねん。

 

あなた次第よ。

 

 

 

 

ワタシはさらなる「空の境地」を目指してる人間なんだから、

 

ワタシのお弟子さんたちが「空」に成る可能性は高いわけである。

 

で、ワタシがよく、

 

「手の力を抜け。」「手が動くのが早い。」「手は最後に動かせ。」・・・

 

などと言う意味がわかってもらえたと思うんである。

 

咲心館はおバカ人間養成所☆なんである。

 

 

 

 

おバカ人間養成所☆って、今日から、誰も稽古に来なくなったら、どないしよ・・・。

 

 

 

 

咲 心太郎